SKE48結成1周年記念コンサート「天下を取るぜ!!」@ダイアモンドホール

入場整理番号は一桁でした。最前列下手寄りにて。

約2時間30分、1周年の感傷に浸る暇を与えない、怒涛のコンサートでした。


ステージの幕が開くと、そこに待っていたのは跳び箱(6段)と、コンサートTシャツにハーフパンツ姿で体育座りをするメンバー、さながら体育の授業のような光景。そこに湯浅支配人が、これまた体育の先生気取りで登場。一人ひとりのメンバーの名前を読み上げ、呼ばれたメンバーが跳び箱を跳ぶ。6段を跳ぶメンバー、8段を跳ぶメンバーと分かれていたみたいですが、そこに珠理奈さんの姿は無し。いったいどんなアクロバティックな跳び方で登場するんだろう、なんて想像をしなかったわけではないのですが、どうやらそれは間違っていたみたいです。
「湯浅さん何やってるんですか」と登場した珠理奈さんの衣装は、すでに曲のための衣装になっていました。支配人(47歳)との掛け合い、そして支配人を跳ばせて「すいません、跳ぶことができないので、次に行きます」。そしてコンサートとしての開幕。
ちょっと長めになった「マンゴーNO2」の前奏の中で珠理奈さんがあいさつ。「今日までリハビリを続けて、若さと気合いでダンスが踊れるまで回復しました」。
どうやら珠理奈さんのケガというのは、僕が想像していたものよりもずっと重くて深刻なものだったみたいです。数日前までは歩くことさえままならない状態だったらしく、そんな中でよくステージに立てたなって感じるぐらい。きっと中にはステージに立つことを止めた人もいるんじゃないかなと考えはするのですが、コンサートに向けての並々ならぬ思いがあったんでしょう。
ダンスとしての動きは決してケガを感じさせることのないぐらいに大きくて立派なものでしたが、その中にどんな痛みであったり苦しみがあったり、なんていうことは想像の域を出ません。それでも、珠理奈さんに今できる最高のパフォーマンスを披露できた、ということはご自身のブログからも読み取れる通りのことなんだろうと思います。S・K2・研究生、他の誰よりも強い意志の中で、一番に全力だったのが珠理奈さんだったんじゃないか。もちろん主観も混ざってはいるでしょうが、そう感じました。


コンサートとしては、ユニット曲はS・K2ともにほとんどがオリジナルのユニットのものでしたが、中には2チーム混合ユニットもあったりしました。(詳細は覚えてないですねぇ)
圧巻は2チーム全員での「強き者よ」と言ったところでしょうか。僕自身、チームS全員でさえテレビでしか見たことがなかったのですが、とんでもなく大所帯での披露は、それはすごい迫力でした。1期生の1周年と同時に、2期生メンバーが名古屋に着てちょうど48日という記念日でもあったみたいで、SKE48の1つの新たなスタートとしての1曲は、これからへ決意の表れに感じました。


コンサート終了も近くなって、「SKE48」の後にはいろいろな発表が。
・デビューシングル「強き者よ」が8月5日に発売になること
AKB48分身の術ツアーの大阪公演と名古屋公演にSKE48が参加すること
・12月25日ZeppNagoyaで単独コンサートが行われること
・今日のコンサートの後にハイタッチでのお見送りがあること


そして高井つき奈さんから「みなさんにお知らせしなきゃいけないことがあります」。みるみるうちにあふれ出す涙の中で語りました。
学業に専念のため、8月の活動を以てSKE48を卒業、というものでした。メンバーの誰にも相談しないで決意したということは、周りのメンバーの反応をみても明らかなものでした。このコンサートのステージで発表するということを条件に、卒業することが許可されたという話。こういう場面に立ち会うのははじめての経験だったのですが、なにか気力が抜けて、頭の中が真っ白になるような感覚でした。もちろんそんな状態に浸ってるわけにもいかないわけで、最高の形で卒業できるように支えていってあげることがSKE48ファンとしての使命なんでしょう。ラスト、ということになる残りの1か月、SKE48としての13か月の集大成の1か月、1秒でも長く注目していたいです。


多くのメンバーが泣き崩れる中で、32曲目「遠くにいても」の曲紹介は珠理奈さんでした。この空気の中で平静な感じの声だなぁと視線を向けてみると、もうその瞳は溢れ出さんばかりの涙で満ちていました。
そして出演メンバー全員での「遠くにいても」。涙の中でのこの曲は、珠理奈さんの誕生日公演以来でしたが、それとは全然違った涙の色でした。どんな意味であれ、1つになったSKE48を感じて、コンサートは終演となりました。


終演後はハイタッチでのお見送り、でしたが、僕がたどり着くときにはすでに21時を回ってしまっていたようです。中学生以下のメンバーは全員いなくなってしまった後でした。悔やむとすればこの場面なのですが、そんなことはどうでもよくて、それ以外のもっともっと大切な感情を抱かせてくれたコンサートでした。