12歳の松井珠理奈さんへ

おいおい「惜別」とは大したカテゴリーを付したものだなぁ、1年前のjuritamaさんよー。別に惜しむことでもなんでもないじゃん。


さて2009年3月8日に12歳になって以来の松井珠理奈さん。すべてが順風満帆というわけではなくて、僕の知る限りでもいろいろあったものです。


たとえばAKB48選抜総選挙。「大声ダイヤモンド」でAKB48への選抜としてのデビューから3曲続けてのセンター。順位をつけてしまえば常に3位以内ぐらいに推されてきた中での19位という数字。これをどう感じたんだろう。
AKB48の支持層の多くは東京を中心に関東であって、「会いに行ける」ことは重要なファクター。名古屋・SKE48の彼女を並列に扱うことができたのか。加えて、AKB48ファンクラブ・モバイルサイト・オンデマンドや、AKB48メンバーとの握手券も付与されるCDに投票券も1枚つくなど、条件的な不利は否めなかった。その中でも19位という順位はすごいことじゃないか、と擁護する意見。
あるいは、いきなり現れたと思ったらいきなりセンター。今まで何年もがんばってきたメンバーがいるのに、何なの?それからあんなに秋元先生に絶賛され、推され、もてはやされてきた。それにも関わらず19位って・・・という批判的な意見。
ふーん、そうなんだ。まぁそんなもんなのか、という中立的な意見。っていうか僕の思ったこと。
この発表のとき、ステージ上では平静を取り繕っていた珠理奈さんは、舞台裏で泣き崩れたそうな。
その涙の意味を推し測ることはできないけれど、将来につながるいい経験だったはず。


たとえば、2回ほど経験することになってしまった、体調不良での数週間の休養期間。武道館コンサートの直前と握手会の途中。ブレーキの効かなくなった車はどこかにぶつけなきゃ止まらない、じゃないけど、最後まで全力でやり抜こうっていう気持ちが生んでしまった結果。珠理奈さんらしいっちゃ珠理奈さんらしい。きっとこれからも突っ走って行ってくれるんでしょう。緻密なコントロールができるようになるでしょうか。半ば強制的なおやすみ期間も、きっと珠理奈さんを成長させてくれたはず。


SKE48としてのメジャーデビューだったり、単独ライブを3回開催したり、取材に撮影にと東京・名古屋を無数に往復してみたり、日本で何本指に入るか知らないけど、とんでもなく忙しい日々をよく頑張ってきました。


「あんなに推されてるのに」なんていう批判的なことはよく聞くけれど、ほとんどがそこで思考停止してしまう。なんで珠理奈さんは推されるのか。
1月のSHIBUYA-AX。生誕祭関係の方に、メッセージカードの記入を促されて書いた時のこと。いったい他の人はどういうことを書くんだろう、と見てみたときに目に飛び込んできたのが、ほとんどの人が記した「エース」という言葉。なんで珠理奈さんはエースと呼ばれるのか。
それに対して、朧げながらも1つの答えを提示してくれたのが、「青空片想い」PV撮影でありました。たとえば本番と本番の間に振り付けの確認。なるほど、他のメンバーを「引っぱる」存在というのはこういうのを言うのか、「こうだっけ?こうだっけ?」という感じのメンバーの中で、「こうだよね。こうだよね。」って感じに踊って見せて、余裕さえ感じさせてくれる。
本番の最中でもそう。カメラとは逆の後ろを向くシーンがあると、後ろにいるエキストラに向かって手を振ってみたり、ピースしてみたり、ウインクしてみたり。そこまでのパフォーマンスというか、パフォーマンスを超えてサービスしてたのは珠理奈さんだけだったはず。必要なことを完璧に演じた上でなきゃあんなことできないだろうし、改めてすごいなぁって呆気にとられておりました。いつも全力で与えられたことに取り組んでるなぁとは思っていたけど、さらにその先を行っていたみたいです。
いちばん練習をしてきたのか、あるいは要領がいいのか、よくわからないけど、珠理奈さんのパフォーマンスには、それを裏打ちする測り知れない努力があるんだろうなぁと。
それでいて、ご存じのようなメンバーへの甘えっぷりとか、現場でみたメイクさんを手招きする動作のかわいさとか。こりゃ心つかむわ。
エースの風格、なんて大それたものは感じないけれど、なるほどエースかぁ、まあ推されるよなぁ、ってなんとなく感じた思い出でしたとさ。


うわ全然惜別してねーよ。